[{"onix":{"RecordReference":"9784788515253","NotificationType":"03","ProductIdentifier":{"ProductIDType":"15","IDValue":"9784788515253"},"DescriptiveDetail":{"ProductComposition":"00","ProductForm":"BA","ProductFormDetail":"B119","Collection":{"CollectionType":"10","TitleDetail":{"TitleType":"01","TitleElement":[{"TitleElementLevel":"03","TitleText":{"collationkey":"ワードマップ","content":"ワードマップ"}}]}},"TitleDetail":{"TitleType":"01","TitleElement":{"TitleElementLevel":"01","TitleText":{"collationkey":"ココロノテツガク","content":"心の哲学"},"Subtitle":{"collationkey":"シンジダイノココロノカガクヲメグルテツガクノトイ","content":"新時代の心の科学をめぐる哲学の問い"}}},"Contributor":[{"SequenceNumber":"1","ContributorRole":["B01"],"PersonName":{"collationkey":"ノブハラ ユキヒロ","content":"信原 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的なものだとすれば、いったいいかにして心が物に対してそのような因果的関係をもちえるのだろうか。心の非物質性と因果性は両立しがたいように思われるのである。\n\n　この困難な状況を打破するために、心身問題に対してさまざまな解決が提唱されてきた。本書の第Ⅰ部では、二元論、心脳同一説、機能主義、消去主義など、心身問題に関する諸立場をかなり網羅的に取り上げた。これらの項目によって、心身問題において何が争点となり、なぜさまざまな立場に分かれるのかが明らかになろう。心身問題をめぐる諸立場の全貌を簡潔に描き出すことが第Ⅰ部の目標である。\n\n■心の哲学の多彩な展開\n\n　心に関わる事柄は、およそどのようなことであっても、心の哲学の主題となりえる。たしかに、心の本性を問う心の哲学にとって、心身問題がその中心となることは間違いないが、そのほかにもさまざまな問題が論じられ、じつに多彩な展開をみせている。そのなかでもとくに大きなテーマは、志向性と意識である。心は物と根本的に異なるようにみえるが、それでは、正確に言って、いったい何が異なるのだろうか。心の独自な特徴としてしばしば挙げられるのが、志向性と意識である。\n\n　まず、志向性であるが、心はいろいろなものを表す働きをもつ。たとえば、太郎は無実だと私が信じるとき、この私の信念は太郎が無実であることを表し、その表されたことに対して信じるという態度（疑うとか、願うという態度ではなく）をとっている。言い換えれば、その信念は太郎についての信念であり、太郎に向けられた（＝太郎を志向する）信念である。心にはこのように何かを志向する働きがある。しかし、このような志向性は物理的な事物にはみられないように思われる。たとえば、机の上にある消しゴムが何かを表すということはない。それはただそこにあるだけである。たしかに、その消しゴムがちびていれば、それはその消しゴムが盛んに使われたことを表すかもしれないが、そうであるのは、私たちがそのちびた消しゴムを見て、それが盛んに使われたと思うからであり、そのような心の働き（志向性）がなければ、消しゴムは何も表さない。物理的な事物が何かを表すとしても、それはそれ自体で志向性をもつのではなく、心の志向性に基づいて派生的にもつにすぎないように思われる。\n\n　次に意識であるが、志向性と並んで、意識もまた、心の独自な特徴であるように思われる。赤いバラが眼の前に見えるとき、心にはバラの色や形が意識的に立ち現れる。このような意識的な現れ（クオリアと呼ばれる）は、物理的な事物にはみられないように思われる。物理的なバラは赤い色をし、特有の形をしているが、そのような色や形は意識的な現れではない。眼を閉じてバラが見えなくなれば、心に現れる色や形はなくなるが、物理的なバラの色と形がなくなるわけではない。また、バラが見えるときの脳の神経興奮も、一群のニューロンが一定の仕方で興奮しているというだけで、バラの色や形の意識的な現れがそこにあるようにはとうてい思えない。意識的な現れは物理的世界には存在せず、ただ心の中だけにあるように思われる。\n\n　このように志向性と意識は心の独自の特徴であるようにみえる。しかし、志向性と意識は本当に心の独自の特徴であろうか。物が志向性や意識をもつことは、本当にありえないのだろうか。現代の心の哲学では、志向性と意識の自然化（すなわち物理的世界への位置づけ）が盛んに試みられている。志向性と意識を心に特有の原初的な特徴とみなすのではなく、それらに物理的な説明を与え、そうすることでそれらを物理的世界に位置づけようとするのである。第Ⅱ部には、志向性と意識について、そのような自然化の可能性を探る項目をそれぞれいくつか取り上げた。\n\n　志向性と意識は、現代の心の哲学において、最初期から論じられてきた大きなテーマであるが、最近では、自我の問題が次第に大きく取り上げられるようになってきた。自我論はもちろん、心の哲学の一つのテーマというより、それ自体で独自の領域をなす大きなテーマであるが、意識の統一性や記憶の連続性など、自我と関係の深い心の諸側面の分析が進展するにつれて、心の哲学においても、一つの重要なテーマとして論じられるようになってきた。第Ⅱ部では、そのような自我論の新たな展開に関係する項目も、いくつか取り上げた。\n\n　最近ではさらに、心の哲学は、美学、倫理学、認識論などにおいて重要となるような心の働きについても、その根源的な解明に乗り出しつつある。ある絵を見て美しいと感じる美的経験には、単なる快感ではなく、もっと複雑で微妙な情動が含まれているように思われるが、そのような情動とは何であろうか。また、意識があるということは、尊厳があるということであろうか。意識は倫理にとってどれくらい重要なのだろうか。さらに、すぐれた認識には、知的な勇気や開かれた心のような卓越した性格、すなわち知的な徳が必要なように思われるが、そのような徳とはどのようなものであり、倫理的な徳とどう関係するのであろうか。\n\n　このほかにも、心の哲学の多彩な展開を示すものとして、知覚や集団心の探究がある。知覚は、信念のように、命題的な構造をした概念的な内容をもつのだろうか。それとも、信念と違って、非概念的な内容をもつのだろうか。また、知覚は、信念や欲求などの認知の影響を受けて変化しうるのだろうか。つまり、知覚は認知的に侵入可能なのだろうか。さらに、個々の人間は心をもつが、人間の集団も心をもちえるのだろうか。第Ⅱ部では、これらに関するさまざまな項目を取り上げている。\n\n■人工知能／脳科学の時代における心の哲学\n\n　最初にふれたように、現代の心の哲学の大きな特徴は、人工知能や脳科学などの心の諸科学の急速な発展を背景として、心の哲学の諸問題が論じられていることである。第Ⅲ部では、このような問題の中からとくに顕著なものを選んで取り上げた。\n\n　他人の心をいかにして理解するかという他者理解の問題（＝他我問題）は、心の哲学の伝統的な問題であるが、最近、脳科学におけるミラーニューロンの発見によって新たな展開をみせている。ミラーニューロンは自分がある行動をするときに活性化するだけではなく、他人がその行動をするのを見るときにも活性化する。したがって、他人がある行動をするのを見たときに自分のミラーニューロンが活性化するということは、自分でもその行動をしようとすることだと考えられる。そうだとすると、自分の行動の意図は自分にとって明らかだから、そこから他人の行動の意図も明らかとなる。こうして他人の意図が理解できるようになる。このようなミラーニューロンの働きが、他者理解に関する従来の諸説（理論説やシミュレーション説など）のどれを支持するかをめぐって、活発な議論が展開されている。\n\n　他者理解のほかにも、それと関連する問題として、自分の心はいかにして知られ、その知識にはどのような独自性があるかという自己知の問題、自閉症者は他人の心を理解するための「心の理論」に障害があるのではないかという問題、人間の社会性を実現する脳の働きに関する研究（＝社会脳の研究）から人間の社会性にどんな新たな光明がもたらされるかという問題を取り上げた。さらに、これらと近接する問題として、適切な情動は自己制御や意志の働きを阻害するよりもむしろ促進するのではないかという問題、直面する課題に関係する事柄をいかにして迅速に把握できるかという問題（＝フレーム問題）を解く鍵は情動にあるのではないかという問題、知覚することは行為することではないかという知覚と行為の一体性を問う「アフォーダンス」と「オシツオサレツ表象」の問題を取り上げた。\n\n　また、心の科学が発展するにつれて、科学的な心の見方がいろいろ提案されてきたが、それらを哲学的に吟味することも盛んに行われてきた。たとえば、心をコンピュータに見立てて、心の状態は記号のように、一定の要素を一定の仕方で組み合わせた構造（＝構文論的構造）をもち、その構造に従って心的状態の処理が行われるという古典的計算主義の見方や、心を脳のニューラルネットワークに見立てて、心の状態はそのような構文論的構造をもたないニューロン群の興奮パターンであり、そのようなパターンを変形することで心のさまざまな働きが生まれるとするコネクショニズムの見方が提唱され、どちらが正しいかをめぐって論争が行われた。また、心（＝脳）は環境からそれなりに自律したものというより、環境と緊密な相互作用を行っていて、環境と不可分だとする力学系理論や、心は脳や身体だけではなく、環境まで含むのだとする「拡張された心」の見方、心は事物についての予測と実際に事物から得られる情報との誤差を最小化することで、あらゆる心の働きを達成するという予測誤差最小化理論が提唱され、それらが哲学的に吟味されてきた。\n\n　このような科学的な心の見方に関する哲学的な吟味を取り上げるとともに、第Ⅲ部でとくに力を入れて取り上げたのは、精神医学に関わる哲学的な諸問題である。心の病が人間の根源的なあり方をいかに開示するかを探る哲学的な考察は従来から行われてきたが、最近、脳科学の発展によって、心の病が少しずつ脳の病として捉えられるようになってくると、心の病についての哲学的な考察にも新風が吹き始めるようになってきた。この新たな展開では、心の哲学におけるさまざまな概念や見方を動員して、心の病の本質に迫る試みがなされており、そこに一つの大きな特色が認められる。このような新たな動向を示す問題と考察をいくつか取り上げた。すなわち、精神疾患とはそもそも何なのか。薬物療法ではなく、治療者の言葉や態度によって治療を行う精神療法とは結局何なのか。精神障害はうつ病や統合失調症などのタイプに分類されるが、それはいったいどんな分類であり、そもそも精神障害は本当に分類可能なのか。精神医学において証拠、価値、物語はそれぞれどんな役割を担うのか。\n\n　これらの問題に加えて、個別的な心の病に関する哲学的に興味深い問題も、いくつか取り上げた。他者からの合理的な説得にもかかわらず、なぜ病的な妄想は執拗に維持されるのか。自分で自分を欺くというような心のあり方がいかにして可能なのか。止めようと思っても止められない依存症的な心のあり方とはいったいどのようなものなのか。これらの問題のほかにも、精神医学に関わる哲学的な問題は数多くあるが、ここで取り上げた項目は精神医学の哲学の新たな動向を展望するには十分であろう。\n\n　最後に、この場をお借りして、本書の成り立ちについて簡単にふれておこう。心の哲学に関するワードマップを出そうという提案をしてくれたのは、新曜社の森光佑有さんである。森光さんはまた、本書の煩瑣な編集の作業を綿密に行ってくれた。心より感謝する。心の哲学については、すでに日本語でも何冊か入門書や解説書が出されている。しかし、ワードマップのような形で現在の心の哲学の多様な広がりを俯瞰できることは、非常に大きな意義があろう。本書は多様な項目からなるが、幸い、各項目にふさわしいすぐれた執筆者を得ることができた。本書によって、人工知能と脳科学の時代における心の哲学の動向を多くの方に知っていただければ幸いである。\n\n信原幸弘","ndccode":"","kankoukeitai":"","sonotatokkijikou":"","jushoujouhou":"","furokusonota":"","dokushakakikomi":"","zasshicode":"","hatsubai":"","hatsubaiyomi":"","author":[{"listseq":1,"dokujikubun":"編"}],"datemodified":"2017-07-03 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